一霊四魂(いちれいしこん)
上図は四魂が調和し、円滑に働いている状態を示したものである。
人は生まれいずる時、神様よりその分霊(ぶんれい、わけみたま)である一霊を頂きこの世に生を受ける。
一霊は本霊(ほんれい)と副霊(ふくれい)からなる。
本霊は命そのものでありこの世で生を受けて果たすべき使命である本命(ほんめい)を持つ。その実態は感謝で満ち満ちていてダイヤモンドのように光り輝いている。
副霊は、四魂からの影響を受けて肉体を形作る。すなわち人とは「霊(ひ)止(と)」であり、一霊を受け止める器に他ならない。
四魂は、輪廻転生を繰り返す。すなわち現界である此岸 (しがん)と霊界である彼岸(ひがん)を行ったり来たりを繰り返す。奇魂により目に見えない世界を感じ智慧(ちえ)を得て、問題の解決を図り、幸魂により自然の美しさに感動し、家族や生きとし生けるものを愛し、和魂により体調を整えてみずみずしい健康な体を保ち、現魂により少々の困難があっても実行する力を生んでいくのである。 何れかの魂の働きが強過ぎたり弱過ぎたりして、四魂が乱れると一霊は直霊(なおひ)となって過不足を調節しバランスを取る。乱れが大きいときは浄化作用を起こし四魂を浄めていく。しかし現代人は、自己本位で物質偏重主義に陥り、曇魂(どんこん)の状態になっている。[これには様々な原因があるがここでは割愛する]
そのため一霊は汚染されて曲霊(まがひ)に変わり、四魂は乱れても改善されず、調節が効かない状態に陥る。このような四魂から生み出される精神は、我、執着、慢心に満ち満ちていて、たくさんの穢れを作っていくことになる。
復古神道家である荒深道斉(あらぶかみちなり1871∼1949) は、「天から下り霊として、超人の種である邇邇芸命(ににぎのみこと)が下される。 その形態は光の玉であり、高千穂の奇古山 (くしふるやま) に隠れて発芽の時期を待ち、あらかじめ大国主命(おおくにぬしのみこと)が用意した身体に宿ったのが、人類の発祥である」とする。
(学研「古神道の本」より)
ここから本霊は、邇邇芸命に代表される大和系の厳(いず)からきており、副霊は大国主命に代表される出雲系の瑞(みず)からきていることがわかる。