あらたま(洗 霊)
「せんれい」とも呼ばれますが、ここでは「あらたま」と発音します。
洗霊は教えと言うよりは実践です。相手や相手の先祖の幸せを真に思い、相手と向かい合わせに座わって手かざしをしていく実践です。
「手当て」と言う言葉があります。病院の治療以外にも報酬などの項目で使われる言葉ですが、本来は傷病の箇所を自分の掌(てのひら)を押しあてて行う治療方法の言葉です。
人はお腹が痛いとお腹に手をあて、頭や歯が痛いとやはりその箇所に掌をあてて痛みが治まるのを待ちます。ほとんど無意識で行う行動ですが、どうしてそのようなことをするのでしょうか。
それは人の掌には、もともと治癒力が備わっているからです。掌から発する力は自然治癒力を備えているからなのです。
また子供やペットの頭を掌で優しく撫でてあげることがあります。これは愛情表現であり、掌には愛を伝える力があります。
相手との交渉事がまとまったときに行う握手も掌で行います。これは交渉事がまとまったことの喜びと今後もこの関係が保てることを願う行為です。
人は神社やお寺、お墓の前で手を合わします。
このときは掌と掌を合わします。これはこの世での祈る心を目には見えない世界に送ることになります。
このように人の掌には素晴らしい力が備わっているのです。
洗霊はもともと、マッサージの施術で患者の身体を擦る行為から始まりました。昭和時代の中頃、大変貴い神様が地上にご降臨(ごこうりん)遊ばされて、掌から発する力に大いなる神秘な神力が加わることになりました。そのことでそれまで治すことができなかった難病の治癒にも大きな貢献をもたらすことになったのです。
そしてその頃から直接患部に触れていた掌は、少し空間をおいて手かざしを行うようになりました。
浄霊(じょうれい)や真光(まひかり)とも呼ばれるこの手かざしは、
その力だけを頼る人々に誤解を受けて、一時期社会的に批判を浴びることもありました。
しかしこの項でお話する手かざし、すなわち洗霊(あらたま)はただの傷病治しではありません。洗霊は神様の神秘な力であり、そのみ光(みひかり)は人の本霊(ほんれい)に直接照射されます。本霊とは神様の御分霊(ごぶんれい)です。分霊(わけみたま)とも言います。わかりやすく言えば神様の分身であり生命そのものです。人は御分霊を頂いてこの世に生きることができるのです。
洗霊は直接本霊に働きかけて、本霊の働きを活発にする。すなわち生命力を高めていくのですが、それには本霊の周りを取り囲む身魂の存在が大きな障害となります。[詳しくは一霊四魂の項をお読みください]
身魂とは四魂(しこん)のことなのですが、現代人の四魂は物質偏重や利己主義の思想にすっかり牛耳られてしまい、曇魂(どんこん)、それもドロドロのヘドロのような状態になって、本霊や副霊の周りにへばりついているのです。
この状態で洗霊を頂いても、太陽の光が厚い雲で遮られて地上に届きにくくなるように、曇魂な四魂に邪魔をされてそのみ光は本霊には届かないのです。
曇魂になっている身魂を綺麗にする方法はありますが、まずは洗霊を一度機会があれば頂いてみてください。教団に入会しなくても頂くことはできます。
始めて洗霊を頂いた多くの方が、「良い気持ちになって眠っていた」と言われます。
毎日のように洗霊を頂いていくと、睡眠が確りと取れ、頭や身体が爽快になります。そして食欲が生まれ前向きな行動力が出てきます。人を愛する心が芽生え、自然の美しさに心惹かれるようになるでしょう。そして今までに考えたことのない新しいアイデアが生まれることもあります。
これらの変化は洗霊によって本霊が躍動して、四魂にバランスと力強さが生まれた結果なのです。