ことたま (言 霊)

 

一般に「ことだま」と呼ばれますが、ここでは「ことたま」と濁らないで発音します。
言霊の歴史は古く、「万葉集」の中で柿本人麻呂が、
「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙(ことあげ)せぬ国 然れども言挙ぞ吾がする。事幸く(ことさきく)真幸く(まさきく)坐せ(ませ)と 恙なく幸く坐せば荒磯波ありても見むと 百重波千重波(ももえなみちえなみ)しきに言挙すわれ言挙すわれ」と詠んでいます。
[現代訳]
わが日本の国は神意(みこころ)のままに言挙はしない国です。しかし私は敢えて言挙げをします。ものごとがうまく行きお幸せでいてくださいと。お変わりなく幸せで過ごされているのならば、またお会いしたいものだと。百の波、千の波が寄せては返すように、私は幾度も言挙げをします 言挙げをします。
それに対して反歌は、「磯城島の大和の国は 言霊の助くる国ぞ 真幸くありこそ」
[現代訳]
わが日本の国は、ことたまが人を助ける国です。あなたこそお幸せに。

柿本人麻呂は何故、わが国は神様のお心に沿い言挙げをしない国だと言っているのでしょうか。言挙げとは、本音の気持ちを言葉に表して相手に伝えることですが、言挙げは実際に起きることだと信じられ、また怖れられてきたのです。
日本人は昔から不吉な言葉を口に出すことが憚られてきました。例えば結婚式の披露宴のスピーチで「切る」や「別れる」と言う言葉です。これらの言葉は結婚式に相応しくないと言うだけでなく、それらの言葉を発することで、将来、離婚を予感させ現実に起きてしまうと信じられてきたからなのです。日本人は、言「こと」と事「こと」を同じ発音にして区別しなかったのです。言葉は事実として反映されるのです。
しかしこれは単なる迷信ではありません。言挙げ、すなわち人の想念から発する言葉は、現実に起きることがあります。この言葉に宿る力を言霊と言うのです。
言霊は何故現実に起きると言えるのでしょうか。それは、言霊には神様の力が働いているからなのです
神様とは、国祖、国常立之神(くにとこたちのかみ)と申し上げます。国常立之神は、古事記の上巻で神世七代(かみよななよ)の初代として登場されます。日本書紀では、国常立尊(くにとこたちのみこと)と呼ばれ、最初に登場される神です。この神は別名、言魂神(ことたましん)と申され、言霊の元の力を生み出される大神なのです。
遠い昔、やまとの国がまだ飛騨にあった頃、言霊はまさに具現する力を備えていました。人々が唱えた言霊は皆、現実に起きたのです。
ところが今から三千年前に、国常立之神と物質文明を司る神との間に決戦が行われ、国常立之神は多勢に無勢で負けてしまわれたのです。
国常立之神は、敗軍の将として艮(うしとら)の方角に押し込められることになりました。勝利した神々は、国常立之神が再び姿を現すことを嫌がり、「炒り豆に花が咲いたら、お出ましなされ」と呪文をかけ、二度と出現できないようにしたのです。国常立之神は、艮の金神と恐れられやがて鬼と喧伝されたのです。そして艮の方角は鬼門筋として、人々に忌み嫌わられる方角になりました。
言霊(言魂)には、「是は是、非は非」と善悪を立て分ける力があります。国常立之神は言魂神(ことたましん)として厳正公平なる政(まつりごと)をなされたのです。

  言魂に正邪正して真善美の全き世界を作り賜わむ
しかし今から三千年前になると、人々の農耕技術は格段に向上して、収穫が大幅に上がり、やがて一つの土地に定住して共同体(ムラ)ができるようになります。
そして人々の価値観が、収穫量の大小、つまり形あるものに左右されるようになっていきます。
この農耕技術の向上、人々の意識の変化は、言魂神、国常立之神の敗退によるものです。このようにして神様の御経綸(ごけいりん)が人の意識を変え、文化を変え、やがて政治体制が変えていくのです。
言魂神が艮の鬼門に押し込められ、長い間、我が国は「言挙げせぬ国」になりました。現代では、建前と本音の二本立てで、嘘偽りや隠ぺいが当たり前の時代に成り下がっています。人々や企業は収穫、つまり儲けることばかりに心を動かし、自分さえ良ければと、人のことを考えない獣化している状態です。
ところがこのまま物質文明を謳歌していては、やがて人類が滅びる可能性がでてきたのです。昭和30年代、ついに「炒り豆に花が咲くとき」を迎えたのです。すなわち国常立之神のお出ましの御経綸の時代に入ったのです。
このきっかけは、人類を一瞬にして滅ぼす核兵器の誕生です。そして被爆国になった我が国の惨劇でした。
言魂神、国常立之神の再臨により、「言霊の助くる国」になりました。相手のために良い言霊を発すれば、かならずその相手が好転していく時代が来たのです。
ここで大事なことは、「相手のため」というキーです。自分のための祈りはあまり力を頂けません。
神社やお寺で自分のために祈る言葉は、唯々感謝の言葉だけでいいのです。
貴方の周りの人たちの幸せのため、良い言挙げをしてください。
良い言挙げとは何か。それはこの万葉集の柿本人麻呂の言葉を真似てください。